見知らぬ土地で始めた生活

 一度も来た事もない養老公園の中で、紅葉の始まる良い気候に恵まれたとはいえ、経験のない仕事は心身ともにかなりの負担でした。妻たちを岡崎に残したまま単身で、待ちの商売に入ったのですが、毎日初めての方々に会え、それでも順調な滑り出しと感じていました。
 十二月になり、妻が膵臓腫瘍の摘出手術を受けるため大学病院へ入院しました。宇山一郎先生(王貞治さんの手術をされた方)の執刀で十時間ほどかかりました。養老の山を下り、手術の結果を次女と二人で待つ時間の長さと不安は言葉にはならないものでした。
 子供たちと私だけの正月は初めてでした。暮れの朝市へ出かけたりスーパーへ買い出しに行ったりしましたが、例年の正月料理とは比べられないものでした。それでも東京在住の長女が帰宅して治部煮を作ってくれたのが慰めとなりました。
 二月になりどうにか妻は無事退院できました。私は養老の山のなかで寒い冬を送っていましたが、会社倒産の処理もあり弁護士さんとも相談して自己破産をすることにしました。子供たちへ負債を残したくなかったからです。