平成10年(1998)

 この年は色々ありました。妻のいない正月に始まり、養老での仕事が暇のかわりに名古屋の依頼した弁護士さんへ相談に出かけたり、病院へ見舞いに行ったり、会社倒産の後始末には、指定弁護士さんと会社で立ち会いがあって名古屋へ行ったりと忙しい冬ではありました。
 二月になって妻も元気になり退院しましたが、支払いにはばたばたさせられました。裁判所への出頭は春になり妻がどうにか歩けるようになってからの同伴でした。手続きが済み五月に自己破産の決定があり、私の年金支給の申し込みをして確定したのは月末でした。
 再び妻は岡崎に住み、長男はまだ大学在学中でしたから自宅から通学していました。養老での仕事は春になり、桜の時期は大忙しでしたが要領も覚え、周囲を見回す余裕も出来てきていました。
 七月になり、長女の夢だったイタリアへの留学が実現しました。師事したかったマエストロのところでデザインの勉強を始めました。
 次女がネットで安い航空券を探し、香港六時間待ちで姉の下宿先へ行き、二人でベネチアなどを見て回った写真をみて長女も元気なのをみて安心しました。
 その姉も一年して、帰国したら高校、大学の同級生と結婚するとの知らせをもらい、妻も驚いたり喜んだりと複雑な気持ちのようすでした。